「天下三分の計で
草ぶきの
粗末な小屋から蜀の宰相になった
諸葛孔
明のような優秀な人材を今求めることはできない。私もなれない。一人で洛陽に入り、
誠の心で皇帝を動かし、人々を助けた
賈
彪はどこにもいない。私もなれない。忠義の心をもち死んだ
貫
高を心の先生としているが、私は名を挙げることはありませんでした。功績を挙げながら気高く生きた
魯
仲連の志を尊敬していますが、結局この危機を解決するほどの力はない。読書で名声を挙げることがなく、ただひたすら昔の
賢人の書三十年学び、外国の勢力を倒す計画を失ったものの、二十一回
奮起し、人は私を狂い、
頑なであると言い、
故郷の人々も受けいれられていません。私の身は国に捧げ、生きるも死ぬも同じであると思って、死を恐れることはなかった。
誠の心をもって接して、心が動かなかったという者は昔からいない。昔の聖人や賢人に並ぶことはできないが、その後に続けるように努力したいものです。
[
中谷正亮君に贈る言葉]
私の江戸送りの前に私は周りの人々のため私が描かれた画に添書きを書き記してきました。自ら書き記した書はもう七つにもなりました。すでにもう十分だと思っていましたが、
中谷正亮君がやってきて、また添え書きを記してほしいとお願いしてきた。ああ中谷君はわたしの最も古い友人です。どうして立っての願いを断ることができますか、いやできません。願いに応じた時はあたかも私が
江戸へ旅立つ前日の夕方でありました。
五月二十四日
二十一回
猛士寅書