松本源四郎
君が
肥後熊本
に勉強に行く機会を使って、
宮部鼎蔵
先生へ手紙を送られると聞いています。松本君は、私が江戸で勉強しているときに時々会いましたが、ご
存知
のとおり、学問を知らない男で、頭のよくないのが残念です。しかし
善良
な男ですので、どうか少しでも身につくことがあれば良いと、兄上と同様に思っています。
宮部
先生の門下生には
志
のある人が多く、その皆さんに教育され、万が一でも志を起こすことができれば、たいへんうれしいことですので、手紙のなかで
宮部
先生に頼んでください。○松本君へ
永鳥三平
に会うようにおしゃってください。永鳥は後輩たちを励ますところが長所です。この点では、宮部先生も
敵
いません。○
丸山運助
および
今村
某・宮部先生の弟
大輔
ほか
志
を同じくする人たちは、皆さんいつも気力が充実していることでしょう。新しい論文などがあれば、いただいて帰るようにお伝えください。○私は相変わらず、ただよく寝てよく食べて、
野山獄中
では、
書物
を読み、ふだんの志を持ち続けていて、言うことはないと伝えてください。○
赤川淡水
君に江戸修行の事をよろしくお願いします。熊本藩士の
轟木武兵衛
・松田
重助
・
佐々淳二郎
君は、今も江戸にいるか
尋
ねてみてください。○
幽囚録
を一冊贈りたいと思いますが、松本君が十日に出発するので、写す時間が無くて残念です。これはまたの機会にします。○
浅見絅斎
の「
靖献遺言
」の詩を読み、子どもの
言
に
足
らないとみえますが、以前お渡ししたものを手紙に同封してください。○さて、天下の大機会である
下田
での
渡米
計画を失敗しましたので、
宮部
・
永鳥
君たちの何の役にも立ちません。会って話しをすれば分かってもらえると思いますが、松本君は預かり知ることではなく、彼らの考えを聞く事ことができず誠に残念です。しかし
野山獄
の
囚人
たちはなんというか、ただ眠って食べるほか意見を交わすことはありません。
大笑
。
安政
二年三月
八日
頑弟
寅二
肥後
の仲間たちに、金子
重之輔
追悼
の
詩歌
を作ってくれるよう、先の手紙で頼んでいたと思いますので、どうか松本君が帰って来たらこちらに渡すよう、彼によく頼んでください。藤井
百合吉
君は、
肥後
へ長期間滞在しないのか、
宮部
先生に
尋
ねればすぐにわかります。
池部
宅は熊本城下の
山崎
とかいう所だったと覚えています。